怖い話 第五話


怖い話 第五話船には向き不向きな海面がある。平水区域とされている東京湾、だがその東京湾の中でも気象条件によっては平水とは言えなくなる海となることもある。まず自分の船の特性をよく知り、そして決して船に無理をさせない。その教訓となるような今回の怖い話。

屋形船をメンテナンスするため荒川から造船所のある横浜まで廻航してほしい、それが依頼だった。荒川から横浜というと風波の影響がほとんど無い運河を渡っていけば27マイル。10ノットでのんびり行っても3時間。だが、話を良く聞いてみると、当日、昼間の営業を済ませてから廻航とのこと、つまり出港は早くて3時頃。11月となれば日没も16:30頃、当然夜間航行を覚悟しなければならない。そりゃー屋形船、ほとんどがきらびやかな都会の夜景を楽しむためのものだから問題はないだろう。のんびり走れば勝手知ったる東京湾、熱心な依頼主の心意気にやりましょうと笑顔で応えてしまった。
実は、屋形船というものを操船するのはこれが初めて。以前に宴会をしたときに、バウスラスターがついているんだなーと思った程度で、船の知識としてはまったくなかった。
今回のこの船は、定員がなんと110人という大型なもの。日本の厳しい安全基準を考えると110人はすごいなと思うが、それは東京湾の平水区域という条件で許可されたもの。宴会など停泊中の揺れを押さえるために平底の船型で、ものによってはスタビライザーもついているらしい。つまり船の横揺れに対してはよく考えられているのだが、波がある中で走ることはまったく考えられていない船だったのは実際の航程で身をもって知った。

当日、屋形船の係留されている桟橋を、弊社のエンジニア、ウッチーこと内田とともに造船所の営業担当3名に案内され訪れる。彼らも横浜まで一緒に航行してくれる。
天候は晴れ、だが南寄りの風がそこそこ吹いていた。
全長24mはあるだろう長細いその船の操船席は一番後ろ。レーダーを含め一応の装備は揃っているが、屋根の上に半身出しての視界は思ったより良いのだが、それでも長い屋根に遮られて自分の舳先は見えない。実際の操船ははっぴを着た粋なお兄さんが軸先に立って、障害物などがあった場合は手などで合図を行うのだろう。ウッチーには、艫でエンジンの調子を確かめてもらいながら航行するより、そろそろ冷たい風となってきた軸先で仁王立ちになって耐えてもらうしかない。
気は急いたが念入りに出航前の機関点検をしてもらい、桟橋を離れたのが16:00。
エンジンの調子を、音で見ながらゆったりと荒川に出る。長い屋根の向こう、軸先に見えるウッチーを見ると、普段使っている手信号で回避と保針方向を指し示してくる。流れゆく船側を見ると流木。よしよしその調子だ。今日の横浜までの航程、2~3時間頑張ってもらおう。できるだけ運河を使うつもりだが、この南よりの冷たい風の中、波の影響を食らいそうなのが唯一羽田沖、そこは通らなければならない。平水区域とはいえ南が吹くと行き交う本船の曳き波と混ざり合い、複雑な掘れた三角波を生じる。水船長が長いということだけを考えれば、おそらくそんな波をつぶして走ってくれるだろうと希望的な観測を思うのだが、心配なのは平底、舳先にぶちあたる波を平底が断ち割ってはくれず、いいように挙動してしまうのではないだろうか。そうなってしまうと、軸先にいるウッチーはたまらないだろうなと思いながら、なに、少しの我慢だろうと荒川を東京湾に出る。若洲ゴルフスプリングスの岸壁に沿って南端までくると遙か彼方の海面は南の風が強いのだろう、ウサギが跳ねているのが見える。そこで右転舵、埋め立て地に囲まれた東京東航路にはいる。10号地付近はところどころ白波が立っているものの、さほどの影響もなく東京西航路へ進入。転舵する際にはその海面がクリアーかどうかウッチーが軸先から手信号を送ってきてくれる。夕闇迫る運河を走りながら、暗くなったらウッチーの手信号を確認するには懐中電灯の光での伝達になるなと考えながら、東京灯標のある前方海面を見ると、開けた海面は夕日に照らされたウサギ達がピョンピョン光っている。覚悟を決め、大井信号所のある城南島公園を右目にとことこと走っていく。目と鼻の先の羽田空港に着陸するので当たり前なのだが、こんなに低く飛んで大丈夫なんだろうかと思えるジャンボジェットの巨大な機体が爆音とともに次に次に頭を掠めるようにアプローチしてくる。その爆音とともに、船首からは白いしぶきが飛ぶようになってきた。かまわず船を進める。羽田の誘導灯が美しく光るのを見ながら進んでいくと、あっというまに闇が迫る。真っ暗な海面。真っ白な波頭がいきなり見え波が来たことを知る。船首からは派手な白いスプレーが宙を舞う。波がまったく見えないので操船でカバーすることなくなされるがままだ。エンジンの回転数を下げる。それでもいきなり船首が持ち上がったなと思うとどかんと落ちる。白いしぶきが飛びちり、風に乗ったしぶきが長い屋根を飛び越しここまで届くようになった。水船長の長いことが波には役には立っていない。この水船長の長さは推力を助けるためだけの物となっているようだ。そういえば一緒に乗っている営業の人たちの姿がここからでは見えない。しぶきがかかるのを嫌って船内にでもいるのかなと思いながら・・・

はじめからいやーな予感がしていたんだ。
いつも慎重な岩本船長が相手の熱意に押され、ノープロブレムと言って受ける廻航の仕事は、補佐する我々が心してかからないとやばいことが多い。今回は、東京湾を運河沿いに横浜まで屋形船を廻航、楽勝というが出港時間が日没間もない夕方。おまけに南の風が羽田沖を難所にしているだろう。だが、まー操船は歴戦の猛者、岩本船長だし、俺はエンジンをしっかり見ていればいいだろうくらいのつもりで乗り込んだ。だが、屋形船の操船席を見てはじめて、覚悟を決めた。視界は長い屋根に遮られて、船首付近は全く見えない。よく考えて見ると、前に屋形船で宴会をしたときに、軸先にはっぴをきた威勢のいいにいちゃんが乗っていきがってんなと思ったが、あれはお客さんにかっこつけて見せているのではなく、軸先のウオッチが必要だからやっていたんだと改めて思い直した。伊達なだけではなかったのね。その役は、やっぱり今回は俺がやるしかないんだろう。案の定、岩本船長からは、船首でウオッチを頼むと言われ、南とはいえそろそろ冬の冷たさを感じる風の中、横浜まで軸先に立つ覚悟をした。夜間になったときには、いつもの手信号に懐中電灯が必要になる。それを用意してもやいを解いた。
陽のあるうちは良い。こちらから出す手信号に岩本船長がうなずいているのが目の端っこに捕らえられて安心感がある。陽が落ちて暗闇になると、意思の伝達はこちらかの一方通行になる。声は届かないだろう。その分、岩本船長が常に俺を見ていてくれることを信じるしかない。
大井埠頭を越えると、問題の羽田沖。暮れゆく光の中で風が強くなっているのがよくわかる。船は進む。洗礼はすぐにやってきた。目の前の三角波。平底の船が持ち上がったなと思った瞬間、船を持ち上げた水がなくなったかのように船は海面に落ちる。壮大なスプレーが飛び散り頭から降ってきた。この船では、波にあわせて走るなんて細かい芸当はできないだろう。だが、スピードくらいは落としても良いだろう。船長!なんとかしてくれよ。次々とスプレーが軸先から飛ぶ。そのスプレーは、船首デッキに滝のように流れ込んでいる。デッキは水かさが増えた。たまに水の固まりとなって、ガラス張りの船室にもぶちあたる。まわりを見るとみるみるプールと化していく。うそだろう。スカッパーが塞がっているのか。岩本船長、かなりレスポンスが遅かったがやっと回転数をさげて波頭にぶちあたらないようにしてくれた。だがそれでもまだスプレーは遠慮なく飛び込んでくる。スカッパーの穴はどこだ。広いとは言えないバウデッキを泳ぐ。見つけた。だがものすごく小さい。これだけの水量、この排水口ではいくらなんでも小さすぎるだろう。恨んでも仕方がない。この船はもともと波の中を走るようには考えられていない。造船所の方々は、一人は最初から俺の脇に立っていてくれ、今は成り行き上俺と同じに水の中を泳いでいる。あとの二人はデッキに通じるガラスの扉が水に破られないよう船内から必死になって扉を押さえている。いずれにせよずぶ濡れだ。キャビンの入り口にお客様用の下駄箱があったのだが、それが大量の水でデッキに浮いて泳ぎだしている。やばい。この下駄箱が水流に押されキャビンのガラス窓を割ったら大変なことになる。下駄箱を押さえなければ。ロープも見あたらない。ビルジを汲み出すバケツも見あたらない。いきなり傾いたデッキから俺自身の体が海水と共に外にもっていかれそうになる。俺の気持ちを察してくれたのか、そいつが下駄箱を押さえにかかる。だが、揺れる船の上、自分の体をホールドすることすら難しい。場合によってはこの下駄箱、海に棄てるか。いずれにせよこれではやばい。船尾を振り返り、片手で一緒に下駄箱を押さえながら、懐中電灯をめちゃくちゃに振って船長に避難を叫ぶ。

羽田の滑走路脇を進む。真っ暗な海と陸、色とりどりの誘導灯が冷たい空気のせいか美しく硬く輝く。速度を落とした船、いきなりどーんと船を揺らす衝撃にまっすぐには走れない。左右に船首を振る。さらに速度を落とす。おかしい。この船の挙動が今までとまったく違う。ぐーっと右に傾いた船、立てなおすために転舵を繰り返すが、反応がワンテンポどころかものすごく鈍感になっている。しばらくそのまま我慢をして船の挙動を見ていると、やっと舵が効いてきて転舵していく。ところがある一点を越えるとさらに傾いでいく。誘導水?ここからは見えない船首が、しぶきで水浸しになりバラストが崩れ出しているのでは?そうであれば船内には誘導水が発生して、挙動を不自然なものとする。船はピッチングを繰り返しているので良くは判らなかったが、心なしかバウトリムとなっていないか。大きな舵がついているが、艫があがってしまうとどうしようもなくなる。ましてや一端右にかしいだ平底の船、そこに誘導水の力が働くとしたら、そのまま船をひっくり返してしまう力となりうる。転覆の二文字が頭をよぎる。やばい、と思ったときに、軸先のウッチーの海中電灯がはちゃめちゃに振られている。避難!なんだかわからないが、とにかくどっかに着けよう。多摩川!そこに逃げこめば左側にはタンカー用の岸壁がある。右転舵をする。傾きがなかなか収まらない。このまま何かの力が加われば、肌に粟が立つ。もしやと思ったところで復元してくれた。そのまま30分ほどかけてなんとかごまかしながら多摩川に入りこむ。風がブランケになりやっと船が安定したところで、ずぶ濡れのウッチーが寒さに震えながら報告に来た。
船内は水浸しだそうだ。

17:30頃、なんとか本船用の岸壁にもやいを取り、みんなで船内に入ったビルジを汲み出す。
相当な量の海水を、凍えた体で汲み出すのは辛い。造船所の方は会社に電話をし、排水ポンプとともに着替えや食料を持ってきてもらうよう応援を頼んでくれた。幸い機関までには水は行っていなかった。発電機も使える。だが船内の畳は水浸し。それを一枚一枚はがし、すべてが終了したのはもう真夜中となっていた。そこではじめて全員で遅い夕食を摂る。カップヌードルの暖かいスープが五臓六腑に染み渡る。
ウッチーをはじめとした造船所の方々は、私の知らないところで水との戦いを余儀なくされていた。操船席からはまったくわからなかった。その話がくつろぎとともに笑い話になっている。心から良かったと思えた瞬間であった。

船の中で暖房を思いっきりかけて夜明けを迎え、明るくなってから出港をした。多摩川からは運河を経由し、約16マイルほどであろうか。6:00頃の出港で7:30には無事横浜の造船所にたどり着いた。南の風が吹いている中、運河だけをたどっていけばあのような水との戦いは無かっただろう。だが、羽田沖はどうしても通らなければならなかった。しかも、この船にはまったく考えられていない波の中だったのだろう。対応が遅れ誘導水まで発生させてしまい、あわやという思いをしてしまったのは、やはり夜間航行という無理があり、状況判断に遅れがあったからだろう。
屋形船という極端な例となってしまったが、プレジャーボートにも充分当てはまる。
船によっては、たとえば外洋の波を全く考慮せず造った船も事実あり、またその使用目的によっては、外洋とは言わずこの屋形船のようにまったく波のことを考慮せずに造った船もある。それらは説明書には明記されてはいない。だが、その生産地、艇のコンセプトなどでも想像しながら判断することもでき、また船型に目が肥えた方にはある程度の想像もできるだろう。自船のことをよく知る。そしてそれには逆らわない。無理はしない。これが絶対だ。その船の特性をよく考えて運行しないとこの屋形船のような怖い思いをすることもあるかもしれない、という教訓に置き換えていただければと切に思う。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA